舞台裏を覗く
ジョン・マウチェリという人は日本では知られていない指揮者だろう。先に読んだ「二十世紀のクラシック音楽を取り戻す」という本がとっても面白かったので、前著も手に取った。これも抜群に面白い。巨匠の伝記でもないし、指揮の技術論でもない。自身が指揮者として音楽と向き合うなかでのさまざまな葛藤が率直に語られている。名だたる音楽家の逸話も、噂や伝聞ではなく、著者が直接見聞きしたものばかりなので、臨場感が半端じゃない。オーケストラ、歌手、演出家、スポンサーといった舞台裏の生々しい力学も聴衆からは見えにくい部分だ。そんな中で自身の解釈を貫徹することの難しさは容易に想像できる。
聴き慣れた作品の、あっという解釈も多数披露される。例えば、マーラーの交響曲第4番の冒頭、インテンポのリズムを刻む楽器群に対してクラリネットと第一ヴァイオリンだけがリタルダンドする意図的な不協和。作曲家は楽譜にそう書いていて、そのとおりやろうという著者の提案に、あのバーンスタインも納得しつつも、何を言われるか怖くて実践できなかった話など。
もうひとつ、「ボエーム」の幕切れ近く、ミミの死のあとの休止のこと。念のためにスコアを見たら、休止符の上にフェルマータ記号があり、lunga pausaという注記まであった。ここは、30秒ぐらい音楽を止めて、人物たちのそれぞれの所作だけで舞台を進行させるのがプッチーニの意図だと著者は言う。確かにそうすれば、音楽が切れたことによる劇場効果は絶大なものがある。30秒とまで言わずとも、せめて10秒でも止めたらいいのにとも思う。これは録音では無理なことだ。生演奏と録音の違いについてはこの本の中でも触れているが、それまで鳴っていた音楽の余韻が残り、無音のなか登場人物が演じる舞台という劇場空間でこそ訴求力のあるものだろう。